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拠点となるコンテナハウス(左奥)を前に、大川小の校歌を歌い活動の本格的なスタートを宣言する「Team大川未来を拓くネットワーク」のメンバーら(右)。ハウスの奥に震災遺構・大川小が見える=宮城県石巻市で2024年4月29日午前10時47分、百武信幸撮影 拡大
拠点となるコンテナハウス(左奥)を前に、大川小の校歌を歌い活動の本格的なスタートを宣言する「Team大川未来を拓くネットワーク」のメンバーら(右)。ハウスの奥に震災遺構・大川小が見える=宮城県石巻市で2024年4月29日午前10時47分、百武信幸撮影

 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市立大川小の卒業生らでつくる「Team大川未来を拓(ひら)くネットワーク」の活動拠点が震災遺構・大川小付近に完成し、29日、お披露目の式典が開かれた。津波で住宅などが流された土地にコンテナハウス2棟を新たに設置し、事務所として活用。人々が語り合う場となるカフェを開くなど、古里再生の活動を本格化する。

 震災当時、同小5年生だったTeam大川代表、只野哲也さん(24)は式典で「大川、宮城、そして日本の未来をひらくために活動していく」とあいさつ。子どもが楽しめる遊び場や絵本室、地元食材を扱うカフェや伝承活動の拠点などを2028年までに順次整備し、地元の雇用創出にもつなげる構想を語った。

 コンテナハウスが置かれたのは、被災校舎そばの市有地。震災前は住宅や診療所が建ち並んでいた場所だ。現在は居住できない災害危険区域に指定されているが、事業用に使うことはできる。Team大川は昨年5月、約3800平方メートルの土地を最長10年間の契約で市から借りた。

 大川小は津波で児童70人と教職員10人が死亡し、児童4人が行方不明となった。大川地区全体では418人が犠牲となり、被災した住民の多くが集団移転を余儀なくされた。

新たな活動拠点で語り合う「Team大川未来を拓くネットワーク」の(左から)只野哲也さん、佐藤周作さん、今野憲斗さん、佐藤涼介さん。奥に見えるのが大川小被災校舎=宮城県石巻市で2024年4月29日午後3時31分、百武信幸撮影 拡大
新たな活動拠点で語り合う「Team大川未来を拓くネットワーク」の(左から)只野哲也さん、佐藤周作さん、今野憲斗さん、佐藤涼介さん。奥に見えるのが大川小被災校舎=宮城県石巻市で2024年4月29日午後3時31分、百武信幸撮影

 只野さんらは古里を未来につなぐとの願いを込め「コミュニティー・デザイン・プロジェクト(CDP)」と名付けた計画を進めてきた。これまでに、活動に賛同した横浜市のコンテナハウス製造会社が2棟を無償提供し、米国在住の男性が震災遺児支援のために活動資金を寄付した。

 当時同小5年生だった副代表、今野憲斗さん(24)は「大川は子どもたちが元気よく走り回っていた場所。かけがえのない古里に子どもたちがまた戻ってきてくれたら」と願いを込めた。

 只野さんや今野さんと同級生の次女千聖さんを亡くした紫桃隆洋さん(59)は「つらい、悲しいだけじゃない、明るい大川を語れる素晴らしい場所ができた。亡くなった娘も喜んでいると思う」と語った。【百武信幸】



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